らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【閑話休題】今回の病気でもろもろ思ったこと1 

 

自分は11月半ばにいきなり体調を崩し、10日ほど床に伏せた生活を送ったわけですが、

この前の金曜日、病院の最終検査の結果、数値が正常に戻ったということで、やっとホッとしたところです。

 

今回はインフルエンザと肺炎同時発症ということで、

本当に何十年ぶりかの非常に苦しい日々を送りました。

体調がかなりおかしいと思った時、自分は小さな病院に行かないで、

最初から大きな総合病院に行くことに決めています。

小さな病院では治療の方法は限られており、そこから紹介状を書いてもらって大きな病院に行く二度手間をするくらいなら、

最初から何でも検査できる総合病院の方がいいのではないかという考え方ですが、

今回はそれが良い方向に出たのではないかと思います。

 

病院に行った日は、我ながらタクシーに乗って

よく病院に行けたなと思うほどの体調だったのですが、

抗生物質の点滴を打ってもらってる時がそのピークでした。

体温は41・9℃まで上がり、脈が90を切ったら即入院と言われていたのですが、

かろうじて脈は90台前半を維持しており、ギリギリで持ちこたえていました。

脈の下の数値は50台だったと思います。

 

後日ちょっと回復した時に、人間って、熱ってどれくらい上がるのだろうかと調べてみたところ、

なんと42.0℃で身体を構成する蛋白質の中に凝固が始まるものがあり、

42℃以上が10数時間で死にいたる危険性が高くなるとの記述が(@_@;)(@_@;)

あと0.1℃じゃないですか(汗)。

でもまあ、この0.1℃が相撲の土俵の俵みたいなもので、結構大きい壁らしいんですよ。

自分の体は土俵の俵で踏ん張ってくれていたわけです。

その時、自分が感じたことですが、痛いとか苦しいとかってほとんど無いんです。

熱でぼーっとしながらも、とても静かな世界。

おそらく一瞬だったでしょうが、その時、垣間見た世界がありまして、

それは別記事に載せましたので、興味のある人は読んでみてください 。

 

 

www.xn--mozo-y93c7h.com

 

 

一言だけ、ここで言いますと、あの世ってあるかもしれませんよ。

それがどういう世界なのかはわかりませんが、

確かにその入口の気配のようなものを感じました。

人によっては熱にうなされて幻覚を見たという人もいるかもしれませんが、

まあ、死ぬ時の楽しみにしておいていただければと思います。

 

自分はインフルエンザはそれほど大したことなかったのですが、

今回は肺炎の方が大変でした。

どうも肺の気管支の辺りに炎症を起こしていたようで、当初結核の疑いも持たれており、その検査もしました。

結核って感染力が強いので、その疑いがあるうちは、他の検査はできないんです。

ですから疑いがあるうちは結核に専念して、肺炎の検査などは後日という形になってしまったわけで、

それでちょっと長引いた事もあるかもしれません。

あともうひとつ言いますと、肺に精密検査しなければいけない影があると言われ、

結核の疑いが晴れたら、その再検査をすると言われ、

正直これで死んでしまうかもと思いました。

 

そこで自分が何を考えたかというと、

仮に余命が1年2年として、一体何ができるかということ。

 

自分の寿命を悟った時、人間には何ができるのか。

ちょっと色々な人の例を見てみました。

 

夏目漱石は修善寺の大患で大喀血して一時期危篤状態に陥りましたけれども、

その後の生きた数年間で、あの「こころ」を書いたんですね。

あと未完の大作ですけれど「明暗」も。

樋口一葉は亡くなる直近の14ヶ月で、次々と素晴らしい作品を生み出した。

正岡子規は最後、結核から脊椎カリエスとなり、体から穴が開き、そこから膿が流れ、

最後の3年間寝たきりの生活を送りましたが、

俳句に対する情熱を失わず、死の2日前まで

「病牀六尺」を書き続けた。

 

彼らがその時に書いた作品を見ますと、その人たちが死病にかかっているということなど全く感じさせない

濁りのない素晴らしい文章の数々です。

 

 

人間は死を悟った時に何を考えるか。

まず自分は何を残すことができるかということ。

そして、残すべき、自分が一番大事に思っているものは何かということ。

その大切なものをなるべく混じり気のない形で残したいということ。

だと思います。


死に臨んで、皆が皆そのような透徹した境地になるわけではありません。

やっぱり死は怖いですからね。怖じ気づいたり冷静さを失ってしまうのも無理はありません。

しかしながら、先ほど挙げた三者については、作品に死に臨んだ者の清々しさを感じさせます。

ですから、夏目漱石が何を一番大事なものと感じていたかを知りたければ、

「こころ」「道草」「明暗」のあたりを読まなければならないでしょう。

正岡子規なら、やはり「病牀六尺」は必須でしょうか。


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正岡子規が寝たきりの病床で描いた自画像