らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「ゴッホの手紙」後編 小林秀雄






          「グラスに入れた花咲くアーモンドの枝」





後編です。
日本人というのはとても素直な気性の人々です。
アクのある、エグい癖の強い人というのは、そうそう見かけません。
しかしながら、この日本人の素直で従順な気質が、

文芸評論を読むに際して、
大きくマイナスになってしまうところがあると感じます。



先の記事で述べた「カラスの群れ飛ぶ麦畑」の小林秀雄の叙述。

「熟れきった麦は、金か硫黄の線條のように地面いっぱい突き刺さり、
それが傷口の様に稲妻形に裂けて、青磁色の草の縁に縁どられた小道の泥が、
イングリッシュ・レッドというのか知らん、牛肉色に剥き出ている。
空は紺青だが、嵐を孕んで、落ちたら最後助からぬ強風に高鳴る海原の様だ。
管弦楽が鳴るかと思へば、突然、休止符が来て、
烏の群れが音もなく舞っており、
旧約聖書の登場人物めいた影が、今、麦の穂の向うに消えた。」
http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/15274835.html


こういう表現をよどみなくされますと、
日本人というのは、ああ、この作品はそういう風に感じなければいけないんだと
素直に飲み込んでしまうところがあります。

しかしながら、別に、この作品に似つかわしい音楽は管弦楽でなくとも、
ピアノソロでもいいですし、ヴァイオリンソロでも、弦楽四重奏でもいいわけです。
音楽でなくとも、カラスがギャアギャア鳴くのでもいいわけです。

そして、麦の穂の向うに消えた謎めいた影は、
旧約聖書の人物でなくとも、新約聖書の聖人でもいいですし、
妖精でも、ローマの神々でもいい。
もっと言えば、何かの気配が全くしないと感じてもいいはずです。

つまりは管弦楽旧約聖書というのは、
小林秀雄個人が感じ取ったイメージなわけですが、
日本の人々はこれを読むと、
この作品は、このようにイメージしなければいけないんだなと鵜呑みに受け入れてしまって、
自分自身が感じたことは誤ったものとして消去してしまう。
他人が感じ取ったものを、あたかも自己が感じたものとして納得して、
置き換えてしまうところがあるのです。


優れた芸術作品とは、優れたものほど、シンプルで、
その魅力はダイレクトに見る者に伝わります。
かつ、それは多彩な魅力を持っているものです。
ですから、いかに評論家の大家であっても、
ひとりの感性で全てカバーしきれるものではありません。
つまりは、小林秀雄といえども、
作品の魅力の一部しか見切っていないと言ってよいでしょう。

従って、それぞれが感じ取ったものは、
間違いというものはないというのが自論です。

例えば、海を見て、人によっては青いという人もいれば、

緑という人もいれば、無色透明という人もいます。
夕日で赤いという人もいれば、太陽の光で金色という人もいるでしょう。 
波が荒いという人もいれば、凪いでいて鏡のように平らであるという人もいることと思います。
しかし、それらは全て紛れもなく海の姿であって、
間違いは1つもありません。

ですから、作品に対する知識などなくとも、
自信をもって、作品から自分が見て感じたことを、堂々と述べればいいのです。
間違っても他人の感じたものを違うなどと言ってはいけません。
なぜなら、それは、自分がその部分の魅力に気づいていないだけであるかもしれませんので。

作品の鑑賞で、最もしてはいけないのは、
既存の知識に作品の印象を当てはめようとすることです。
それは、他人が感じたことを、自分の脳に貼り付けているに過ぎません。
たとえ未熟だと思ったとしても、自分の感じたものを大切にすべきなのです。

ですから、そういう意味で、美術館で今流行りの、
解説レコーダーというものは、あまりお勧めできません。
あの器械は、まっさらな状態で作品を感じる機会を奪ってしまうものです。

最初は自分のよろよろとした感性の頼りなさが、
どうしても頼りないものに思えてしまい、
確固たる意見を持った権威にすがりたくなる気持ちはよくわかります。


しかしながら、よろよろながらも自分の足で歩いていると、
それが積み重なれば、やがては自分の感性で、駆け出すことさえできるようになります。
ですから、ぜひとも自分の足で、
その一歩を踏み出していただければと思います。









「クロー平野の収穫、背景にモンマジュール」


「友人の画家と一緒に、初めてこの場所に行ってきたとき、彼はこう言った、
こんなものを描くなんて真っ平だなあ。
僕は黙っていた。僕には驚くべきものに見えたんだ。


僕は後日再びやってきて、デッサンを2枚描いた。
この平べったい、ただ無限と永遠の他何物もないような風景の。


描いていると若者が一人やって来た。画家ではない兵卒だ。

どうだ、呆れた絵だろう。僕には海のように美しく見えるんだがね、
この男は海をよく知っていたのでそう言うと、
彼はこう答えた。
いや、呆れるどころか、あなたは海のように美しいと言うが、これは大洋の海より美しいと思うな。
だって人間が棲んでいるものな。と。

見物として、どちらが芸術家か。画家か兵卒か。
僕としては兵卒の眼が好きだ。
僕は間違っているか。」

              ゴッホの手紙より