らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

【辞世の句】1 高杉晋作

 
 
自分は短歌俳句の類をあまり詠みませんが、
他人の作品を読むのは結構好きで、
その中でも辞世の句は自分の好きなジャンルです。

自らの死に臨んで一生を振り返り、
歌に詠むという習慣は日本特有のものでしょうか。
身分を問わず多くの人がそれぞれ辞世の句を詠んでおり、
なかなか優れた句も多いようです。
人それぞれの死生観がよく表れておりとても興味深いものです。

以前いろいろな人の辞世の句を収集したことがあり、
特に感銘を受けた句を機会を捉えて紹介していきたいと思います。


まず今回は先に【人物列伝】で取り上げた高杉晋作の辞世の句で、
もっとも好きな句の1つです。



おもしろき
こともなき世を
おもしろく

すみなすものは
こころなりけり



高杉晋作が詠んだのは上の句のみで、
野村望東尼という幕末の志士を支援していて高杉晋作とも浅からぬ縁のあった尼僧により
下の句が補完されたとされています。


全体としては、
「面白い事のない世の中でも面白くするのは各々の心の有り様次第なのです」


というような意味になります。
下の句については、なんでも紫式部の歌にちなんだもので、
咄嗟にそのような歌を取り出せた望東尼の機知を評価する向きもありますが、
堺屋太一氏は説明的常識的でイマイチとの評を下しています。

自分も同意見です。
つまり高杉晋作の辞世の句は、上の句のみである意味完成されていると思っています。

クラシック音楽モーツァルト「レクイエム」という曲があります。
全14曲のうち第8曲ラクリモーサ(涙の日)でモーツァルトは力尽きて亡くなり、
第9曲目以降は死後弟子が補筆し完成させました。
しかし何回聴いても、モーツァルトが完成させた曲とそれ以降の曲との曲の力が違うのです。
他の人々もそう感じたのでしょうか。
弟子の補筆版にはあきたらず、後世の音楽学者などが
モーツァルトならばこのように作曲したであろうという研究成果に照らし
てそれぞれ補筆しています。
しかしどれも成功しているとはいえないような気がします。
モーツァルトが作曲したとモーツァルトらしく作曲したとでは、天と地ほどの開きがあります。
ですからこの曲を聴くときは第8曲で止めてしまうことが多いんです。

高杉晋作の辞世の句も同じと考えています。
彼がもし詠んだら、どのような下の句になったか知る由もありませんが、
望東尼の下の句は上の句に比べ覇気がなく、句が小さい印象です。


吉田松陰初め多くの人々の死を乗り越え、
自分自身も何度も死地に赴きながら冷静かつタフに決断行動し、
見事「おもしろきこともなき世をおもしろく」することを自ら叶えた高杉晋作の人生は、
下の句七七では収まりきれないかもしれません。

上の句で終わってしまっている高杉晋作の辞世の句は、
むしろそれがいろいろな意味で彼らしくてとても気に入っている句になっています。

ただしこれはあくまで私個人の主観的な意見です。
皆さんはどう感じたでしょうか。