らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「蠅」横光利一

2日連続して横光利一作品です。

さて今回の「蠅」は彼の代表作として挙げられるものだそうです。

作品を通して馬のまわりを飛び交う一匹の蠅が登場しますが、
感情の類は一切なく一個の無機物として終始します。

物語に登場する馬車には息子が危篤の農婦、わけありの若い男女、
母と小さい息子、田舎紳士など様々な境遇の人々が乗り合わせますが、
物語のラスト、馭者の居眠りにより馬車は崖下に転落し全員死亡してしまいます。

衝撃の結末というかあまりに唐突でシュールな展開に思わずちょっとびっくりしてしまいました。


「腹ならび頭」同様この作品も常に一歩離れた遠くから対象をながめている印象がありますので、
登場人物に対する感情移入というものはあまりなく淡々と事態が推移します。

ただ「腹ならびに頭」と異なるのは蠅の目を通して対象が推移しているということです。

蠅の目の視点がそのまま物語の映像となり、イコール読者の視点ともなっています。

ですから前述のように蠅は無機的で何ら感情も発しませんが、
物語全体を支配する妙な存在感があります。

この作品は様々な境遇の人間がいるけれども
思いがけない理由で平等に死は訪れるというような寓話を表したのでしょうか?

ひょっとしたらこの手の作品はそういうものを求めてはいけないのかもしれませんね。
ちょっと例が適切かわかりませんが、
シュールリアリズムの絵画を見て個々の描写の意味を問う無意味さと同じで、
作品全体の感覚からくる不安感やらを大切にすべきものなのかもしれません。
あんまり自信ありませんが。

「蠅」も非常に短い小説ですが
「腹ならび頭」同様心に残るというより脳に残る作品という感じです。
新感覚派の活動は十年にも満たないものですが、
独特の文体を駆使した映像的描写等好き嫌いはともかくとして、
文学史に新しいものを提示したという意義は間違いないところのようです。

作品を読むだけだと、なにか変な文体だなとか、いつも読んでいる小説と感じが違うな
という違和感程度で通り過ぎてしまうかもしれませんが、
小説等書いている人にとっては読み込めば、
インパクトある表現方法など隠れた宝が眠っているかもしれませんね。