らんどくなんでもかんでもR

はじめまして。文学や美術、音楽、そして猫のブログをしています。 よかったら、のぞいてみてくださいね。 Nice to meet you. I write about literature, art, music, and cats.

「トロッコ」芥川龍之介

「蜜柑」の回でも述べたが、
自分が小学校6年の時、教務主任の先生が、授業の余った時間でよく短編の小説を朗読してくださった。

芥川龍之介「トロッコ」もそのひとつで、
懐かしさのあまり、先生のおっしゃっていたことを思い出しながら、小学生以来読んでみた。

それにしても芥川龍之介は不思議な作家だと思う。
なにげないシンプルな文体のようだが、
ロッコに乗ったときの風切る疾走感と主人公の喜々とした心持ち。
遠くまで来てしまったことに気付いた焦燥感。
線路を走って帰るときの後悔の念とどうしようもない心細さ。
家に着いた際の安堵感からくる大泣きに泣いた主人公の気持ち。
それら各シーンが映像的に鮮やかに浮かんで、
自分自身トロッコに乗っていたような感覚になるのはどうしてだろうか。


ところで先生は「トロッコ」の時に限って読後クラス全員に感想文を書かせた。
そしてそれを読んで少々苦言を呈せられた。
曰わく「みんなは後のことを考えないで遠くまでついて行った主人公が悪いとか、
遠くまで連れて行った若い土工が悪いとかいうことばかり書いているが、
小さな子どもが、夜、真っ暗になった線路をとぼとぼ帰るどうしようもない心細さとか後悔の念とかを
感じ取って、それを書いて欲しかった」


当時は??って感じでピンと来なかったが今はよくわかる。

先生は話の筋を追うことばかりに気を取られないで、
登場人物の心情を感じ取ることが大事なことだという趣旨でおっしゃったのだと思う。

詩などでもそうだが、文章の形式や技巧の種類にばかり気を取られて、
作品を感じるということをおろそかにしがちだと思う。

受験国語というものは、どれだけスピーディーに文章のテクニックを読み取るかを
要求される部分が大きいので、
がっちり作品全体を感じとるという本来の醍醐味が脇に追いやられてしまっていると思う。
論説文などはまだそれでよいかもしれないが随筆や小説ではそれはダメだ。

大学時代かなり世間的にも高名な教授が
「小説の面白さがよくわからない。哲学書は面白いんだが」
ということを言っていたが、
今から思うと、論理を追うことには長けていても
物語を感じるということには疎かったということかもしれない。

それにしても先生はわかっているんだかわかっていないんだかの小学生相手に、
よく一生懸命大事なことを教えてくださったと思う。

またここで自分が先生がおっしゃったことを伝えることで、
さらに花の種が広がるが如く、どなたかの心に根づくことを願ってやまない。